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【アラフォー恋愛20代篇】もう恋なんてしないなんて言わないよ、ぜったい<最終章>

もう恋なんてしないしないなんて言わないよ、ぜったいLove/恋愛
もう恋なんてしないしないなんて言わないよ、ぜったい

こんばんは。3連休の方も多いのでしょうか。私は3連休組なので、雨の東京を満喫しておりました。

皆様、どんな土曜日をお過ごしでしたでしょうか。

私はというと、2月に子宮頸がん軽度異形成(癌にはなっておらず、癌化する3段階前くらいの細胞の状態)の蒸散手術を受けまして、絶賛経過観察中です。今回2回目異形成の検査を受け、結果を聞きに。「ASC-US」といって、グレー状態。回復に向かっている模様です。

この後、近所のセンスの良いハイブランドを扱う古着屋さんへ初めて入ってみました。ここ半年以上新しい服を買った記憶がないのですが、最近服熱アップ中で、行ってみたら、好みのものばかり。スタッフの方と談笑すること1時間・・。ロンハーマンのニットをお手頃価格で購入。

最高にテンション上がるわたし。

あああー、幸せ~、でもいつ着るの?いや、着る機会を作るのよねと言い聞かせる。

また前置き長め、、、

この間、序章だったのにもう最終章となります。誰が興味あるのか、私の約20年前2000年頃(大学時代)のしくじり恋愛の続きを御覧ください。前回のはコチラ

彼であるY先輩がプロとなり、活躍を夢みた世界は私からはとても程遠い価値観や世界観をもっているひとたちがいた

Y先輩はプロを目指し、下積みかねて働いていたアルバイト先にMちゃんという子の存在が。

いつの日だったか、わたしが初めて焼きもちをやいたことがあった。

アルバイトのメンバーで箱根あたりに泊まりがけで遊びに行ってたのだ。その時の話しを私にしてくれたのだが、どう聞いても仲よさそうな絵が浮かんで来る。

彼女は当時、他に彼氏がいて、妊娠していたにもかかわらず。

夏だった季節も、9月を過ぎるとあっという間に年末になるのは、例え20代でもおなじように早く感じていたような気がする。

12月の年末は大学のサークル仲間と恒例の忘年会がある。とある先輩が働いている六本木の飲食店へ一同集まった。

Y先輩を除いては。

忘年会前から、実は連絡が取れなくなっていた。

これまで連絡が取れなかったことは一切なかったので、私は忘年会に参加しながらも彼を心配していた。

彼と彼女のことをこの時もまだ疑っていなかったと思う。

それくらい、彼のことを心から信じていたのだ。

忘年会では、先輩方から「Yはどうしてるの?来ないの~?」なんて、聞かれて困った。

なんて返事したかは今となっては記憶もない。けど、頭の中は、彼と連絡取れないことに不安でいっぱいだった。そんな「感情」だけは記憶に残っている。

忘年会も解散し、自宅近くのコンビニだったと記憶してるけど、やっと電話に出てくれた。

彼は物凄く冷く、応答してきた。

彼に冷たくされたのが初めてだったので、とてもショックを受けた。

何が起きたんだろう・・・

この後、後日 彼から電話で別れを告げられた。

時は 12月31日、そう世の中は 大晦日 でした。

どういうわけか、テレビだけはつけていて

ZONE secret base~君がくれたもの~ZONE. が流れていた。

嘘みたいな本当のはなし・・。

奇しくも、当時の失恋ソング。なんていう、皮肉だろうか。

きみと夏の終わり 将来の夢 おおきな希望 忘れない」

メロディが好きでよくカラオケでうたっていたけど、歌詞の意味をこのときようやく知ることとなるとは。

サイアクな大晦日・・・

生きてる価値はないと思った私は、当時住んでいた2Fのアパートから飛び降りようとしてしまった。

でも小さなアパートで、高さもなく、下から生い茂った木々が飛び降りるのには邪魔だった。

泣きながら友人やサークルの先輩へ次々と電話する。迷惑なやつ。

サークルの先輩たちは、皆で集まって当時大人気だったK1を観戦している最中であった。特にY先輩と仲良かった方には号泣しながら話を聞いてもらった。

そして、とにかく一人でいたくなくて、今でも仲良しで、東京きて初めて友達になったTちゃんが彼氏の実家へいたので、そこへ押しかけた。これまた迷惑なやつ。。

Tちゃんの彼の美人ママにいろいろと話しを聞いてもらったのだ。(流れでねずみ講に誘われたけど、断る判断力は残っていた笑)

そんななか、妹は幕張メッセでカウントダウンライブのカウントダウンする12時直前に連絡が取れて、私の状況を聞いてくれていた。

翌日の元旦に、共に東北の実家へ帰省するため、東京駅で待ち合わせし、一緒に連れて帰ってもらった。

新幹線で、寿司を食べうようにも、米一粒しか食べれないし、ずっと泣き続けている私に妹らしく、「お姉ちゃんさ~、泣くのやめてくれない?」一言。(うちの妹とは仲良しだけど、家族同士はこれがふつうの会話)そして、みかんも美味しくない。

母もどん底に暗い私をみて心配していたので、2日目くらいにようやく、母にも話せた。

母は私と一緒に泣いていた。

そして、3日目。外へ出る気になったわたしは、家族ぐるみで仲良しのご家族とカラオケへいけるまで、回復した。

妹が最後に私へ歌ってくれた曲はキョンキョンの「あなたに会えてよかった」(作曲が小林武史さんとは知らず!個人的には木枯らしに抱かれてが好き。)

妹の気持ちは嬉しかったけど、まだ彼との「終わり」を認識したくなかった私には当時は酷だった。。
(勝手に終わらせないで~~~~!!!!)

年を新たに、ちょうど心機一転いいじゃないって周りは言ってくれたけど、そんな風に思えなかった若かりし頃のわたし。だって、好きだったんだもの。こころから。そう簡単に切り替えできるほど、強くないし、感情を抑えられるほどオトナになれない。

あれから数年後、彼はMちゃんと結婚した。子宝にも恵まれたと聞きました。御殿も建てたとか。

その結婚式に、何故か私も呼ばれました。。サークルの長であるM先輩が裏で動いてくれて、先輩たちなりの私に対する配慮ではあったようなのですが、参加はせず、終えました。

あれからもう20年近く経とうとしており、唯一彼とだけ長い間会っていません。

今更会いたいとも思わないし、彼が目指したプロの世界とは「麻雀」なのですが、そもそも生きていく方向性が違ったから、合わなかったなと。

回想しながら、自分がどんな想いになるのか、上から眺めているような感覚でみていたのですが、辛かったいう事実や感情自体に、やはり少し悲しくなり、涙が出た。きっと自分が可哀そうにみえたのでしょう。

でももう引っ張られはしませんけども。次の瞬間笑っていられる。そんな強さももう兼ね備えている。

実はオフレコ話があります。

東北の実家での最終日、妹とも交流のあったY先輩へ、ひとつ意地悪をしたのです。

私なりの小さな仕返しだった。今となっては時効でしょうから話します。

妹からY先輩へ

「姉と連絡取れないのですが、どこにいるかご存じですか」とメッセージを入れてもらったのだ。

すぐさま彼から連絡きたけど、もちろん出なかった。

そのまま、東京のマンションへ戻ると、彼からの電話も何度かあり、マンションまで私の安否を確認しにきたのです。

即マンションの電気を消したけど、玄関口から少し光が漏れて、バレていたような気がする。

彼が玄関口から「〇〇(私)いるんだよね?」

実は、それ以降のことはあまり覚えていない。そして、彼とはこれ以降、会っていない(たぶん笑)

でも、今となってはこう思う

あなたに会えてよかったね きっと 

終わり

番外編

大学時代の思い出といえばこれでしょう。懐かしすぎる!
キムタクの「あすなろ抱き」で、彼の人気は爆発し、男で長髪をはやらせたり、髪を切れば ニュースになるほど人気だった。
(放送は高校生のときだけど、これみて大学は東京へいくと決めた)

映像よりも漫画の柴門ふみ先生の大ファン。今でも大事に持ってます・・
青春時代に手っ取り早く戻れる方法

今日のつぶやき

タイトルと結びは違う歌ってところが自分らしい。綺麗にまとまらないことろ・・

皆さんの思い出も聞いてみたいです。

回想するって、なかなか面白い工程だった。記憶の書き換え、新たなタグ付けに、興味津々

友人、サークルの先輩には本当に迷惑極まりないことばかりして、申し訳ない気持ちでいっぱい・・

サークルの忘年会、いまでも実施しているが凄いところ。Yは来ないけど。

雨だったけど、雨の合間をぬっていろいろ移動が出来て、ラッキー

Y先輩、そういえば何してるんだろう?ま、いっか。⇒失恋ってそんなもの笑

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