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【アラフォー家族篇】母・ステージ4の卵巣癌出術から2年 病との向き合い方

母と卵巣癌Health/健康
母と卵巣癌

こんばんは。

お盆休みも明けた月曜は思いのほか、自分のペースで仕事が出来たように思いますが、会社全体の業績があまりよくないので、どうしたら良いでしょうね;

ところで、AmazonPhotoやGooglePhotoに写真を格納していると「〇年前の今日」的な写真通知されます。

数日前にあがってきた写真が2019年8月、そう2年前の「卵巣癌の出術室に向かう直前のピースしている母」でした。

(母も私も今も元気にやってますが、これ以降、手術の話などがあるので、苦手な方や元気がない方は調子がよさそうなときにまた遊びに来て頂いた方が良いかもしれません^^;;)

アラフォーともなると、両親の介護問題や、旦那様のこと、子供のこと、あとは自分自身のこと!など、悩みや考えることが山積みという方も少なくないのではないでしょうか

家族が癌になったとき、どう受け止めますか。

私の経験談と今どういう気持ちで向き合っているのか何かしらご参考になればと思い、少しお話しできればと思います。

2019年7月25日。母からLINEがあり、母が卵巣癌を患っていることを知りました。

母が65歳のときです。

その前から身体の調子があまり良くない、怠いと母と共に美容業を営んでいる妹から聞いてはいましたが、まさか癌にかかっているとは夢にも思いませんでした。

ちょうどこの頃は私自身、私生活でのゴタゴタを経て自分改革に勤しんでいた頃で、母が癌と向き合うことは自分自身への試練として、打って付けかもしれないと、考えたりもしました。

変な言い方ですがね。

ちょうど、7~9月は(会社側からの半強制的な)資格試験2つ受験と夏季休暇Bali旅行を挟み、締めはアメリカニューヨーク出張が控えており、仕事以外のスケジュールも既に埋まっていました。

今までの自分だったら会社から強制された試験だしということで、適当な理由をつけてキャンセルしたと思いますが、今回は言い訳せず、受けることにしました。そしてNY出張は絶対キャンセルできないし、したくなかったんです。

これは全て乗り越えよう、そんな強い覚悟があったように思います。

そう、現実逃避ばかりしていた嫌だった自分と決別するチャンスだと。

母はステージ4の卵巣癌でした。首元にも癌が転移していたから「4」扱い。

癌に対する知識が当時あまりなかった私は「ステージ4」という診断から想像したくない母の命の終わりが頭によぎりました。一番顕著出ていたのは、父だけど。

本来、「ステージ4」というのは癌の原発巣以外にも転移している状態のことを指し、「=末期」ではない。

2018年の検診時には何もなかったのに、1年の間に身体の中で何が起きたのか。

卵巣癌は、発見するのが非常に難しそう。発覚したときには進行しているケースが多いようですね。

今回、母がいつも診てもらっている近所の婦人科医により、卵巣に異常があるようだからと診断され、がんセンターで即刻精密検査をすることとなり、判明した。

この婦人科医の先生には本当に頭が上がらない。

手術は「5時間程度で終わりますから」と主治医の先生から伺っていました。

片手に点滴を持ちながら、もう片方の手は大きく振って、歯には特注のマウスピースをはめ、意気揚々と手術室に向かう母をみて、まさに「母は強し」と思ったのでした。

2019年8月某日。写真はこのときのものです。

私の父はマスオさんで、母のところに「婿」としてやってきました。

典型的な末っ子気質。

人は良いけど、家族よりも友達や遊びを優先したいタイプ。自分勝手。でも長女の私には激弱い。

一方、母の母(私の祖母)は母が小学生の頃に亡くなっていて、身体の弱かった祖父と母は2人でずっと暮らしてきました。母には姉がいたけど、障害を持っていたので、施設に預けていたこともあり実質二人暮らしだったのです。

祖父は兄妹が多く、田舎の大きな敷地には本家の屋敷、祖父との家も敷地内にあり、母はよく祖父兄妹に面倒をみてもらったそう。

祖父が思うように働けないこともあり、祖父兄妹から将来は手に職をつけるように言われ、母は美容師となり、現在も妹とお互い言い合いしながらも、仲良く?営んでいます。

そんな背景もあるためか、母は自分が大黒柱だという気持ちが非常に強い。

口癖のように「自分は大丈夫」とよく言っている。

親とも言えど、今でこそアドバイス、忠告すればするほど、相手を固辞させるだけと学んだけど、反抗期真っただ中は、言いたいことを言い合って、取っ組み合いの喧嘩をよくしたし、ベランダから漫画本を捨てられたり、母はとにかくいつも真っ向勝負してくるし、自分がしっかりしなければ、家を守らなければと必死だったと思う(漫画は関係ない?笑)

だからなのか「痛い」「辛い」とか、口に出さないし、そもそもそうした痛みすら麻痺して感じていないんじゃないかと思うくらいだった。

予定通り、手術は2019年8月某日15時に開始し、20時くらいには終わると聞いていたので、休憩室で父、妹、私の3人で待っていたが、一向に呼ばれる気配がない。妹の旦那さんは一旦自宅へ戻ってもらっていた。

私は資格試験のテキスト持ち込みしていたので、読んだりしていたけど、どうも落ち着かない!

21時過ぎころだったか、やっと看護師さんが呼びに来て、「手術室へご家族来てください」とのことで、急ぎ向かった。

主治医の先生から、「思ったより癌腫瘍が多くて、頑張って取ったけど、取りきれない」と告げられた。「もう少し時間がかかる」とのことだった。

先生が福島ご出身で、少し訛りがあったこともあり、緊迫した雰囲気の中でも、私としては少し気持ちが和らいだ。言葉とは不思議なものだ。

とはいえ、現実に起きてることに気持ちが追い付かないような気分にもなったけど、「深呼吸」を繰り返し、先生の話しに必死に耳を傾けた。

いつもふざけている父だけど、先生の話を必死に真剣に聞いてる横顔が未だに忘れられない。

再び休憩室に戻り数時間、私は気が気でなく、1日を終えようと12時に到達しようとする時計の針をずっと追っていた。

でもふと周りを見渡すと、父と妹は半分寝ていた(笑)父と妹は似たもの同志でよくケンカしているが、このズッコケ感も似てる。母がみてたら大爆笑してたと思う。

再び看護師さんに呼ばれ、またある部分の腫瘍を取ろうとしたら出血がとまらなかったため、別の大学病院の専門医に急遽来てもらい、処置したとのことだった。ええええ、びっくり。

ただ母の命に別状がないならよかったと少しほっとしたのでした。

こんな母だったが、さすがに「癌」という現実を突きつけられ、最初は自分自身を責めていたようにみえました。

これは後から癌の本を読んでわかったのだけど、「痛み」に強すぎても、考えもの、とのこと。

ちゃんと痛いときは痛い、辛いときは辛いって、自分の身体に向き合って、訊いてあげないと状態を知ることなんでできないのですよね。もちろん、口にも出さないと相手には伝わらない。

ただ言う相手は考えないといけないですけどね^^


家族側、自分も癌にかかったとき、心の持ちようはとても大事なことですよね。

ためになった1冊なのですが、著者の押川勝太郎先生は現在も勤務医されながら、押川YouTubeチャンネルでセカンドオピニオン的に患者さんたちと交流を持ったり、Liveでチャットしながらざっくばらんに質問に答えながら飲み会開いたり、他の医療関係者とYouTubeでコラボトークするなど精力的に活動されています。

押川先生はとにかく話しが素人でもわかりやすいのが良いのです。医者で、一般人目線まで落としてコミュ力高く話せる方はそうそういないんですよね。

主治医のとのコミュニケーションエラーで治療が上手くいかないケースもあると知り、これが一番腹落ちしましたね。営業でもそうですが、信頼関係って大事だなと思いました。

よく病院をころころ変えてしまう方がいますが、医者は医者であり、コミュニケーションのプロではないのです。もちろん、限度というものもありますが、ある程度自分でも知識をつけ、能動的に動くことが大事な気がします。

母の主治医について、過去の経歴などは調べて技術や経験値も全く問題ない方であったのですが、母自身が主治医の先生のことを信頼できるかどうかが、回復への第一歩でした。

頑固な65歳ともなると他人に身を委ねられるものか、心配でしたが、何とかクリア。。

予定より倍かかった約10時間の手術も無事終え、3週間の入院、リハビリを終えた母は無事退院することが出来ました。

資格も無事取れ、Bali旅行は結局キャンセルしましたが、9月末のNYへ出張行く前に入院中の母のもとへお見舞いへ行き、リハビリで歩行訓練するというので、一緒に廊下をゆっくり歩いていたのですが、病室ごとに知り合いがいて、選挙運動みたいに手を振りながら、「がんばりましょうね」と色んな人に声かけてる母の姿をみて、「根っからこういう性格なんだ」と思ったのでした。

反射的にそうしちゃうようです。

そしてオンラインの画面上で自分を見る回数増えて、最近気が付いたのですが、反射的に相手に手を振る姿、そっくり私・・・。顔も似てるけど。。

血は争えない。

母は2021年現在も抗がん剤治療を受けています。リンパにある腫瘍がどうしてもなくならないのです。

ただ病気は抗うと治らないと。

今は「癌と共存していく」という考えを持つようになりました。

もちろん、抗がん剤治療は時間もお金もかかりますし、身体への負担も私が想像するよりもはるかに大きいはずです。

誰でも癌細胞があり、腫瘍が暴走してしまった、たまたま事故にあったようなもの。

腫瘍が悪させず、母の体調に大きく影響を及ぼさないなら、良しとしようということ。

そして、何よりも学んだこと、それは「今を生きる」ということでした。

母は頭ではわかっていても治したい、腫瘍がなくなって欲しいという気持ちが先行することもあるようで、そんなときは「今日をたのしくね」とメッセージしています。

今のいま、母が元気で楽しい瞬間を味わっていることが幸せなのではと。

今、この瞬間を楽しめないひとは、今日という日が楽しくない日で終わってしまう。

明日以降の未来のことばかり考えている。

これでは、今日も楽しくない、明日になって、明日も楽しくない、一生楽しくない日が続くということになってしまいますよね。

そして、甘ちゃんな父も少しだけ自立するようになったように思います。

浮腫んだ母の足をさすったり、肩を揉んだりしてあげているそう。そんな父、初めてです(笑)

大袈裟な表現を言うのは、好きではありませんが、これまで目につかなかった幸せに気付いたり、自分の生き方を考えなおすきっかけや、ゆるぎない覚悟というのは、こうした感情を強く揺さぶられるような出来事から生まれるのかもしれません。

少なくても、今の私を形成しているきっかけだった出来事です。

後悔しない自分らしい人生を送ろうと強く心に刻まれた母とのあえて「想い出」と言わせてもらいました。

因みに今日、母は大好きなメイク用品を自分のために買い、大喜びのLINEをくれたのですが、

「(抗がん剤で)まつ毛がないけど、イヴサンローランのマスカラ買っちゃった」だそう。

あの母のことだから、無理やりまつ毛につけるんだろうな~と思います(笑)

母は今、楽しそうだ、良かった。

過去ブログ 健康 もよろしければ御覧ください。

長文お読みいただき、ありがとうございました!

今日のつぶやき

悪名は無名に勝る

4-9月の売上無事達成しそう。嬉しい。

オンライン対面でも「リアルタイム」で話す機会がないと、しゃべりの質が落ち、反射が鈍る

カクヤスって凄いコスパいい。WEBサイトが充実している

知識は財産

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